とますか日記 vol.2:ハーバードを卒業して、どうしてNGOで働いているんですか?

「ハーバードを卒業して、どうしてNGOで働いているんですか」

時折そんな質問を受けます。

もちろん自分の中では、全く不自然な思いはありません。

社会の常識や固定観念にとらわれず、自分のやりたいことを追い求めた結果、20代はチベット、インド、アフリカ等で途上国の現場体験を積み、30代はソーシャルベンチャーと呼ばれる「社会貢献 x スタートアップ」のセクターにどっぷり浸かることになりました。

では、何故、一流の大企業や国際機関を選ばなかったのか。振り返ると「踏み外しの第一歩」が重要だったのかと思います。

 

南太平洋の原体験

元々は親の転勤で小学生の時にアメリカに渡り、ボストン郊外の公立中学、私立の寮生高校を卒業しました。いわゆる物静かな優等生タイプでした。
そんな順風満帆な10代後半、大学入学前に南太平洋のフィジー島を訪れ、「発展途上国の生活」というものを初めて目の当たりにしました。参加したのは、異文化交流が趣旨のホームステイでした。

それまで先進国でしか育ったことのない私にとって、フィジーでの経験は衝撃でした。その理由は、いわゆる貧しい無電化地域に住む現地の人たちのハッピーさでした。

物質的には何にもないのに、人間として優しいし、温かいし、楽しそう。

それに比べて、東京やニューヨークに住む「世界最先端」な人たちは、毎日何かに向かってがむしゃらに働き、鬱病に悩まされ、人生を楽しんでいるようには見えませんでした。そんな物質的な豊かさと精神的な豊かさの反比例に、圧倒され、魅了されました

人間は元々こんなに楽しく生きていたのに、発展を遂げたら幸福度が退化するのは何故だろうと思い始めました。これが私の原体験です。この問いは今でも抱き続ける疑問です。

 

悩める大学時代

そんな価値観を揺さぶられる体験を経たものの、それがどのようにキャリアと直結するのかも分からず、将来の方向性を模索しながら大学時代は本当に様々なことを体験しました。特に丸3ヶ月ある夏休みは、行動力、好奇心、自己顕示欲の「化学実験」でした。

大学1年生の夏はフィジー島に戻り、前年参加者として関わったプログラムのスタッフとして働き、2年生の夏は南部アフリカ・ボツワナの文化保護NGOでインターン。

3年生の夏はもう少し「メインストリーム」を知る必要があると自分に言い聞かせ、外資系投資銀行の東京オフィスでのインターンシップを決意。今はなきリーマン・ブラザーズ証券で。

東京とボストン往復航空券はもちろん、六本木の高級マンションにタダで住ませてもらい、その上、提供価値ゼロに等しいインターンに対して月収55万円というあり得ない待遇。2001年アメリカ同時多発テロが起こる直前の、潤い過ぎていた資本主義ど真ん中の体験。弱冠21歳の若者には過剰な誘惑でした。

正直そのままそちらの世界に流されそうになりましたが、東京証券市場が開く前の朝7時、通勤途中に六本木交差点を渡る時、フィジーやボツワナの光景がよく頭を過ぎりました。「お金持ちをもっとお金持ちにするシステム」に浸り初めていた自分に罪悪感を感じました。

ここで働くのは自分でなくてもいいと思いました。そして、リーマンからや他社から頂いていた内定も、全てお断りしました。

 

今になって気づく「Be-Do-Haveのコンセプト」に基づいた決断

内定をお断りしたものの、他に就職先が決まっていた訳ではありません。何をやりたいのか定まらない中、直感的に拒むというナイーブな決断をしました。しかし、その直感的な決断こそが、人生において非常に重要な判断基準だったと、15年以上経った近年気付きました。

アース・カンパニーがバリ島で行うスタディツアーで、いつもツアー参加者に話してもらう起業家がいます。一度ビジネスを成功に導いたものの、アジア金融危機で全てを失った経験を持ち、大切なものを大事にする生き方を選んだ彼が語ってくれるのが、Be-Do-Haveのコンセプトです。

現代社会では、以下のようなDo-Have-Beのロジックで生きている人がほとんどです。

  • Do  たくさん勉強して、我慢して働いて、立派な学歴・職歴を積めば
  • Have    たくさんお金を手に入れることができ、家庭を築き、マイホームを買い、
  • Be  幸せ、豊かになれる

というように。

しかし、欲しいものを軸に選ぶ道には根本的に欠陥があります。「Have」をするための「Do」の状態、また「Have」を成し遂げた状態すら、必ずしも、本当に自分を幸せにする「Be」の状態ではないかもしれないからです。いつか手に入れたい状態、豊かで幸せな状態を得るための手段や経過が幸せでなくては、本末転倒です。

Be-Do-Haveの考え方のポイントは、「手に入れたいもの」を軸に考えるのではなく、自分が「ありたい自分」であることを最初に持ってくることです。

まずは内省し、心を整え、自分が幸せを感じられる心持ち、状況、関係性を築く。

その軸がしっかりしていれば、あとは、成すべき「Do」は自然と見えてきて、その延長線上に副産物として、自分を幸せにする「Have」が生まれてきます。自分を豊かに、幸せにする「Be」の状態を最重要視していれば、そのために行う「Do」も、その先に生まれる「Have」も、きっと幸せなはずです。

「人」は、英語で「human being」と言います。「human doing」ではありません。単純な話なのですが、このBe-Do-Haveの考え方に、生き方の大きなヒントが隠されていると、私は感じています。

実は最近になって気づいたのですが、私の原体験や「踏み外しの第一歩」は、このロジックに完全に当てはまるのです。

17歳の私がフィジーで見せられた人間の一つの姿は、have(物資的豊かさ)の結果生まれるbe(ハピネス)ではなく、haveとは無関係なbe(人間的な温かみ)でした。

そして、21歳の私が感じたのは、行き過ぎたマネーゲームの中での人間関係や組織で、本来のBeを育むことは出来ないということでした。もちろん当時は、直感的なbeを大切にしてキャリアや生き方を築いていこうと考えていたわけではありません。たまたま直感を軸に動いた結果、それが良い判断だったと今になって気付きました。

 

選んだのは、月給8万円のNGO

話を戻しましょう。

我が道を行く

と決めたものの、その「道」がなんなのかわからずに大学の卒業式を迎え、卒業後3ヶ月間は、旅行ガイドブックの東南アジア版の取材という短期の仕事や中国で英語を教えるなどして食い繋ぎました。

結局、本当に自分が求める仕事に巡り会えたのは、卒業してから2年後。チベット高原で、教育、保健、文化、環境における課題解決に取り組むアメリカのNGOの仕事に出会ったときでした。

月給は、リーマンのインターンシップの7分の1。8万円でした。

給与は低くても、優秀で意識の高いチベット人の同僚と一緒に、チベットが抱える課題を解決していこうと奮闘する日々は非常に充実していました。標高4000mの「地球の果て」のような村に、車と馬を2日間乗り継いで、求められる支援を届ける感覚は特別でした。これこそ、自分がやりたかった仕事だ、と確信しました。

そうして、金融業界から「踏み外した一歩」が、3年後にようやく「納得いくキャリアの一歩」につながりました。

時間はかかりましたが、妥協せずに探し続けた甲斐がありました。その後、国連や世界銀行のような国際機関の道も検討しましたが、大きな組織の小さな歯車になるのは性に合わないのと、働く団体がもたらすインパクトを肌で感じられる距離にいたかったことから、 「Be」を大切にして走り続けた結果、「Do」はソーシャルベンチャーというセクターに至りました

走り続けていると、その時々の体験は点にしか思えません。

ある程度の距離を走り振り返って初めて、点と点が線につながります。自分が描いた線は、一見分かりにくい曲線かもしれません。
しかし、それこそ個性であり、自己実現なので、今後も、脱線したまま舗装されていない荒野を突き進み続きたいと思っています。

 

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