3月 12, 2018

とますか日記 VOL.1:すべてはサモアから始まった~濱川明日香の原体験

近年、若者に原体験を提供するようなソーシャル研修を行いながらつくづく感じるのは、「原体験」がいかに人の人生を変えるかです。人生を丸ごと変えてしまうほどの影響力を持つ「体験」は、人生に数回もないものだと思いますが、その中でも一番大きな影響力を持つのが、「原体験」です。

近年、若者に原体験を提供するようなソーシャル研修を行いながらつくづく感じるのは、「原体験」がいかに人の人生を変えるかです。人生を丸ごと変えてしまうほどの影響力を持つ「体験」は、人生に数回もないものだと思いますが、その中でも一番大きな影響力を持つのが、「原体験」です。

先日、バンコクで開催されたとあるカンファレンスに登壇した知宏が、会議後そこに集まった日本人社会起業家たちと飲みながら、「みんなの原体験はなんだったのか」という話で盛り上がったそうです。そうすると、ほぼ全員の原体験が、10代後半、または20代前半に起こっていたのです。

必然的に、何かに突き動かされるかのように、全エネルギーと情熱、時には私財をつぎ込んでまで成し遂げたいという思いに駆られるほどの感情の揺さぶりは、感受性豊かで、人生にまだ夢を持ち、価値観やキャリアが凝り固まる前の柔軟な時期だからこそ、大きな化学反応が起こり得るのかもしれません。

私の「原体験」もそうでした。

 

生まれた国の違いで変わる、世界の現実を知る

私が国際協力の道に進むことを決めたのは、中学生の頃でした。当時ピアノを近所の子に教えていて、少なからずあった収入を、まだスマホも何もなかったあの頃特にお金の使い道がなかった私は、母の勧めでユニセフに寄付することにしました。

それから月々送られてきたマンスリーレターで読んだ内容は、中学生の私にはどれも衝撃でした。生まれた場所が違うだけで、こんなにも与えられる環境が違うのか、と。

私は何が偉くて日本に生まれたわけではない。
それでも恵まれた環境に生まれたからには、そうではない人たちの力になることでしか自分が恵まれた環境に生まれたことを正当化できない、そんな思いでした。

しかしそれが原体験だったわけではありません。「初めての気づき、覚醒」とでも言うべきでしょうか。

私の人生を変えた原体験は、私が22歳のときの、オセアニア(太平洋諸国)ひとり旅でした。

 

大学卒業後、バックパッカーとしてオセアニアの海へ

米国の大学を5月に卒業し、翌年4月から外資系コンサルティング会社に就職が決まっていた私は、11ヶ月間、バックパックにテントと寝袋を入れ、沖縄の離島、ハワイ、オセアニアをアイランドホッピングしながら過ごしました。

オセアニアの中でも私が惚れたのは、紛れもなくサモア。

海沿いの細長い半島にある、まだ電気もろくに通らない素朴な伝統の村に辿り着き、まだオープンしたばかりの安宿に滞在しました。私はすぐに村の暮らしに魅了され、いつしか私はオーナー家族の家に泊まり、一緒に宿を運営するようになっていました。

 

サモアで初めて知った、自給自足の喜び

そこで過ごしたのは、大きい魚がたくさん獲れた時は家族全員が喜び、ココナッツをとってきて棒に刺して割り、皮を剥ぎ、実を削って絞ってココナッツミルクを作ったら、今度は剥いだココナッツの殻を燃やして火を焚き、それからやっと調理、という、手がマメだらけになるような手間のかかる生活でした。

しかし自分で獲ったものを汗水流して調理した料理の美味しさは、どこの高級料理店の料理より美味しく感じ、自給自足の暮らしの味をしめてしまった私は、帰国日をすっかり忘れ、気づいた頃には飛行機は飛び立っており、数ヶ月その村に居着いたのでした(ビザについては聞かないでください?)。

 

お金もモノもないのに、笑顔が絶えないのは何故なのか…

その数ヶ月の間よく頭を過ぎったのは、ここの人たちはなぜこんなにお金もモノも持っていないのにこんなにも喜びをもって暮らし、笑い絶えない生活を送れていて、一方、充分以上の経済的発展を遂げた日本の大人はあんなに陰気な表情をしているのだろう、ということ。

大人になりきれていない当時の私は、日本では大人たちを見ても「こうなりたい!」とワクワクすることは特になく、疑問ばかり湧いていました。

それから気になって調べていると、「裸足の経済学者」として知られたチリの高名な経済学者マンフレッド・マックス=ニーフの「Threshold Point」という概念に出会いました。
これは、「どの社会においても、経済成長が生活の質(クォリティー・オブ・ライプ)を向上させる期間があるが、それはあるポイントまでであり、それ以上経済成長がある場合、クォリティー・オブ・ライフは低下する」という、彼の調査に基づいた結論でした。

ここでいう『クオリティー・オブ・ライフ』とは、具体的には「日常生活における精神的・身体的・社会的・文化的・知的な満足度」を指していますが、現在の経済のあり方は、『生活水準』を高めるものであり、必ずしも『生活の質』『幸福度』を向上させるものではない、という点が、当時の私にはしっくりきました。

 

しかし、実はそれが「原体験」だったわけでもなく(はい、まだです)、何より決定的に私の人生を変えたのは、彼らのこの豊かな暮らしを脅かす、気候変動の影響を目の当たりにした時でした。

 

ささやかで平和で、幸せな暮らしを奪う気候変動の波

7月の満月の日、満潮時に高潮が押し寄せました。

その波は、私が住んでいた高床式小屋の真下を通り、半島を完全に横切って反対側に流れ出て行きました。

子供たちは洪水状態の村で無邪気に遊んでいましたが、度々海の方を眺めては不安そうな表情を見せました。その波はみるみるうちに高さを増し、子供たちも遊ぶのをやめ、少し高い土台に上がり様子をみました。
私自身も、潮位がどこまで上がるのかわからず、大きな恐怖感と不安感に駆られたのを覚えています。

その日から、どんどん庭の作物が枯れていきました。
収穫できなくなったタロ芋を見て男たちは肩を落とし、そのうちライムの木もパンの木も、葉っぱが茶色く枯れていきました。その状況にショックを隠せなかった私に、家族は、これは今に始まった事ではないのだと教えてくれました。

以前はこの村から半島の先端にかけて3つも村があったこと。
海面上昇の影響で皆山へ移住したこと。
それまでは非常に活気ある地域だったのに、人がいなくなった村々は今やゴーストタウンのようにジャングルに飲み込まれ初めていること。

そのゴーストタウンの様子は、「これが地球の未来なのか」と、衝撃でした。そしてその「衝撃」はだんだんと「憤り」へと変わり、そして「原動力」に変わっていきました。

 

人間らしい暮しが奪われる不条理に突き動かされて…

先進国が経済発展を遂げるためにたくさん燃やしてきた石油が、サモアで質素に、自然と共存しながら、極めて人間らしい生活をしてきたこの人たちの暮らしを沈めようとしている。
気候変動による弊害は、必ずしも加害者が一番大きく受けるのではなく、そもそも地球温暖化にほとんど加担していない小国たちが、一番最初に被害者になっていくのです。

その不条理が許し難く、自分の生活がもたらしてきた弊害に目を止めなかった自分を恥じ、目の前で起こっているその現象の威力に対する自分の無力さに打ちのめされたままそこに立ち尽くし、「気候変動研究に進もう」と決めたのでした。

それから1ヶ月後に帰国し、まずは予定通り、外資系コンサルティング会社に就職しました。
気候変動を生み出した仕組み、マインドセット、「ビジネス」というものを学びたかったからです。
それから数年、概ね満足した私は、太平洋諸国における気候変動の影響について研究するため、太平洋島嶼国研究の権威であるハワイ大学の大学院に進学しました。

感受性も行動も極端な私ですが、今はあの頃と比べたら若干丸くなったものの、当時の学びは確実に今の自分の土台を作る要素となりました。

「経済的発展と精神的発展の反比例」や、マックスニーフが提唱する「モノ」ではなく「人」を軸とした「ていねいな発展」や、「不条理」に対する考え方は、私の根底に今もあり、アース・カンパニーの活動やインパクトヒーローたちに対する支援、そして私の生き方そのものの隅々に、反映されています。

そもそもサモアでの原体験がなければ、ハワイ大学に行かず知宏やにも出逢っておらず、アース・カンパニーも生まれていなかったわけです。
あの原体験のおかげで、確実に財政的にも肉体的にもハードな人生を選ぶことになったわけですが、精神的豊かさや幸福度は数万倍。感謝しかありません。

「原体験」よ、感謝多い人生をありがとう!