写真引用:South China Morning Post “Two killed in Myanmar anti-coup protest shooting”
2月9日、首都ネピトーでは、警察官が発砲し、頭部を撃たれた19歳の女性が亡くなった。直後からSNS上には、写真や動画が次々とUPされ、拡散された。
流出するレントゲン写真。血のついたヘルメット。
メディア各社は、どこよりも早く情報をつかもうと躍起になる。実弾か、ゴム弾か。死亡か、重症か。正直言って、どっちであろうとどうでもいいという気がした。
無抵抗の民衆に、軍が発砲した。それだけでもう十分すぎるほど、重い。楽しげな若者の風景も、銃声と流血も、拡散される憎悪も、ミャンマーで、同じ瞬間に、同じ対立構造の中で起きている。
インターネットの画面越しでは、一体何が本当なのかわからない。現実をつかみそこねて戸惑う。15日からは、サイバーセキュリティ法なるものが施行される。これによって、軍がすべてのインターネット上の情報を、合法的に監視し、管理できるようになる。
繰り返される軍の残虐行為
2月12日に「恩赦」という名目で街に放たれた2万人を超す囚人たちは、各地で放火や家宅侵入などを起こしているらしい。
住民らに取り押さえられた囚人が、虚ろな目で何かを話す動画。薬を盛られているのだという。同じように、貯水タンクに毒を入れようとした少年もいたとのこと。いやいや、それはさすがにないでしょ、と言いたくなるような話だが、実は全く同じことが、今までの軍事政権時代にも繰り返されてきた。
大規模な抗議運動は、2週間目に突入した。理由なし・令状なしの逮捕を合法化(ありえない!)した軍に対しひとりひとりが、命がけで声をあげている。軍政は絶対に、絶対に、受け入れない。スーチー氏が繰り返した言葉「Freedom from Fear」の本当の意味を思い知る。
綱渡りの抗議。非暴力への信念の裏に
今週になって、街には装甲車が増えた。警察ではなく、軍が出てきている。300mほど先にある中央銀行前でも、住民が戦車と対峙する。LIVE配信される、見慣れた景色。行きつけのコンビニ。
集まった市民は、声を合わせて不服従を叫ぶ。歌を歌う。
反軍政のポスターを持って戦車の前に立ち、写真を撮る。
戦車にこっそり Democracy のステッカーを貼る。
ときどき戦車から兵士が出てきて、ステッカーを剥がす。なんて平和で、優しい抗議なんだろう。でもこの穏やかさは、実はギリギリのバランスの上にある。市民が、少し調子にのって挑発しすぎれば、そして兵士がカッとなってボタンを押せば、市民は簡単に殺される。
『僕たちは、絶対に暴力を使わない』
カレン族の友達からこの言葉を初めて聞いたのは、クーデター2日目の夜だった。
「僕らが少しでも暴力を使ったら、軍は『国の治安を守る』と言って、弾圧にかかる。そうやって僕らは、何度も弾圧されて、殺されて、負けてきたんだ」